星になったShogoへ、家族の日常とハンドメイド。

亡き息子との想い出と、その後の家族の日常。時々ハンドメイド

息子の旅立ちの日

一番最初のブログで裁判の事を記しましたが、息子が亡くなった日の事はまだだったので記します。

 

その日、朝の6時過ぎに電話がなった。

こんなに早く誰だろうと電話に出たら病院からだった。

「息子さんが事故にあわれました」

私は一瞬声が出なかった。

「それで息子は怪我をしたのですか?」

「詳しいことは病院についてからお話しします」との事。

私は嫌な予感がした。

バイクの後ろに女の子を乗っけて何かあったのかな、もしかして話せないほどの大怪我なのか…。

その日はたまたま遅番だった主人を起こして病院に行った。

 

最悪の結末だった。

息子の顔に白い布がかけられていた。

 

夢の中なのか、現実なのか、何が何だかわからないけど私は泣き叫んでいた。 

 

 

今覚えているのは息子の顔はとても穏やかで笑っているようだった。

私に笑顔で話しかけてくる表情と一緒だった。

何かの間違いできっともう少ししたら息子は起きるだろうと思い、重なり合った手を無理やりほどいてその手を握った。

手も体もまだ暖かかったのを覚えている。

 

 

その後は親戚や友人に電話をしたり、色々な人が家に来たりして忙しかった。

悲しむ余裕もなく通夜。

息子は高校卒業してからもバスケ部のOBで学校に顔を出していたので、10年近く経つのに先輩、後輩、顧問の先生、同級生が多数来てくれて嬉しかった。

 

それから近所の方、主人の友人が率先してお通夜、葬式の受付をしてくれて本当に感謝しています。

 

27年の短い生涯だった。あっという間でお別れも言えなかった。

お姉ちゃんは一人っ子になっちゃって寂しそう。

お婆ちゃんもいつも孫の話をしている。

甥っ子も「しょうごが生きていたらいいのにね(呼び捨てに呼んでいた)」と時々話す

彼女もいつまでも泣いていたね。

残された家族は寂しさでどうにかなりそう。

 

 

でも息子は?

幸せだったと思う。

結婚は出来なかったけど、やりたい事は色々してきたんじゃないかな!

一生懸命生きて来たよね〜!

 

家族の悲しみが時間と共に形を変えていく。

感謝や生きる強さに。

 

人間の一生は年数ではない。

どう生きてきたか。

 

残された家族が幸せになる事が、息子が一番望んでいる事だと思う。

 

私も父ちゃんも息子に出逢えた事に感謝している。

また来世でもきっと会えると信じて、それまで頑張って生きていこうと思う。

少しでも人の役に立てるように、その気持ちを忘れずに。

 

今までありがとう。